大人と子供の童話


 





 
 ある年の3月、大阪の京阪電車交野線に「きかんしゃトーマス号」が走り始めました。それまでにも京阪電車では「トーマス号」は走っていたのですが、今度はこの交野線だけに1年間ほぼ毎日走るというのです。
 さあ大変、そうでなくてもこの私市(きさいち)駅周辺の子猫たちは電車が好きなのに、カラフルな「トーマス号」が毎日やって来るとなると、子猫たちが線路へ近づくことが多くなり、親猫たちは気が気ではありません。

 中でも特に電車の好きな子猫がいて、まわりのみんなから「鉄猫」と呼ばれていました。最近の人間界では電車の好きな女性を「鉄子」と呼んでいるのと同じような感じですね。その鉄猫くんの父親は「トーマス号」が初めて運転される日に、地元の交野線私市駅へ様子を見に出かけました。

 この私市駅は交野線の終点の駅なので、電車が駅へ入ってくるとしばらくはホームに停まって動きません。それに昼間は10分に1本しか電車はやって来ません。猫たちはそれを知っているので、電車が停まっている時に線路に入って電車を眺めたり、時には線路を渡って駅の反対側に住んでいる猫に会いに行ったりするのです。

 私市駅にやってきた父猫は、しばらくホームで写真を撮っている人たちを眺めていました。
父猫「なんとも楽しそうな電車やなあ。これじゃウチの鉄猫が夢中になるのも無理はないわい」
 そのとき、背後から父猫に声をかける人がいました。中年の女性のようです。
鉄子「お〜い、そこのニャンコ〜、どいてくれへんかなあ。邪魔なんやけど〜!」

 父猫が声のする方を見ると、踏切で長いレンズをつけた一眼レフカメラを持った女性が叫んでいました。
父猫「へいへい、すんまへん。ちょっと待っとくなはれ。今すぐどきまっさかいに」
 父猫が今度は電車の方を見ると、ヘッドライトが点いて間もなく発車のようです。父猫はあわてて線路の外へ出て行きました。警報機が鳴り始め、踏切の中に居た女性も残念そうに線路から離れました。

鉄子「もう〜、あのニャンコったら邪魔やなあ! 電車が並んでいるところを撮りたかったのにぃ!」
 女性はおかんむりです。ずいぶん遠くから撮影にやって来たようです。
父猫「オバチャンでもあれだけ熱中するんやから、ウチの鉄猫のヤツはもう目の色を変えるやろなあ?」
 そして父猫が心配したとおり、翌日から鉄猫は毎日のように駅へ来て「トーマス号」を眺めていました。
 
 
母猫「ぼうや、そんなに電車に近づいたら危ないよ。
   もっと線路から離れなアカンわ!」

鉄猫「だってえ、トーマス号を近くで見たいも〜ん」

母猫「そんな近づいたらトーマスやなかまたちの絵が
   見えへんやろ?」

鉄猫「絵は毎日見ているからええねん。もっと車輪や
   モーターをはっきり見たいんや〜」

 鉄猫はそう言いながら「トーマス号」の下へもぐり込んで行きました。
 
 
母猫「あっ、ぼうや、線路へ入ったらアカン!」

鉄猫「大丈夫や。あと3分は発車せえへんから。ボク
   ダイヤはもう覚えているんやで〜」

母猫「そんなこと言うても、危ないからアカンよ!」

鉄猫「大丈夫、大丈夫!」

母猫「あっ、発車合図が鳴ったで。早う、早う!」

鉄猫「大丈夫、ボク駅の向こうへ行ってくるわな!」

 鉄猫はそう言って線路を越えて行きました。
 
 鉄猫が線路の向こう側へ飛び出したのと同時に「トーマス号」は私市駅を発車しました。母猫は電車が通り過ぎるのを線路のこちら側で待っていましたが、電車が行ってしまうと鉄猫の姿を見てホッとしました。 
 
 
 翌年の3月になりました。1年間走った「トーマス号」も31日でおしまいです。最後の日が近づいてくると電車の前後には「ラストラン!」の標識がつけられるようになりました。

 鉄子さんも時々撮影にやってきます。何度も来ているうちに猫たちと話が出来るようになりました。
駅猫「そろそろ終りやなあ。この1年は子猫たちが毎日駅へ遊びに来て大変やったんやで!」
鉄子「そうやったの? それはお疲れさまやったねえ。まああと少しの辛抱やわ」
駅猫「あんたも遠いところからよう来るねえ。けど4月からはもう来ないんやろ?」
鉄子「そうやね。まあしばらくは来ないけど、京阪電車は好きやから時々は来るわよ」

 そんな話をしていると電車がやって来ました。駅猫はあわてて線路から離れ、鉄子さんはカメラを構えて駅に到着する「トーマス号」をパシャパシャと撮り始めました。
 
 
 
 最後の日はあいにくの雨でした。それでも「トーマス号」に名残を惜しむ大勢の人が私市駅に集まってきました。子猫たちは親猫から「かぜをひくから」と言われ、雨を避けてホームの下から眺めていました。
 この日の「トーマス号」は長いあいだ私市駅に停まっていましたが、最後に車庫に向けて発車していくと、子供たちはいっせいに手を振って「トーマス号」を見送りました。猫たちもホームの下から見送りました。

 翌日からは毎日毎日同じ電車しか来なくなったので、鉄猫をはじめ子猫たちも飽きてしまって、線路へ出てくる猫も少なくなり、鉄子さんも本線の旧3000系電車を追いかけて、交野線へはやって来ませんでした。
 鉄猫もその翌年の春に引退する旧3000系電車を見たかったのですが、猫の足ではさすがに私市駅から本線の駅まで行くのは無理で、見に行くのはあきらめて鉄子さんがまた来たら話を聞こうと思っていました。
 


 
 数年後にまた交野線に「トーマス号」がやって来ました。今度も1年間の運転の予定ですが、今回は途中から「パーシー号」が加わり、2本のラッピング電車が交野線を行き来するようになりました。
 鉄子さんも前回以上に何度も交野線を訪れるようになりましたが、鉄猫にはなかなか会うことが出来ませんでした。鉄猫も大きくなっている頃なのですが、いったいどうしたのでしょうね?
 
 

鉄子「もう〜っ、あの風船、邪魔やわあ。ちょっと、
   そこのボク、風船どけてくれへん?」

子鉄「うるさいオバチャンやなあ! 他の場所で撮っ
   たらええやんか!」

鉄子「オバチャンやないよ。オネエチャンと言いなさ
   い。最近の子は生意気やなあ」

 鉄子さんはおかんむりです。子供の方がいいカメラを持っているのも鉄子さんのシャクのタネです。
 
 

 鉄子さんはホームの端の方へ歩いて行きました。このあたりで鉄猫くんに会ったからなのです。

鉄子「あっ、おりひめちゃんとひこぼしくんのヘッド
   マークの電車やわ。撮らなきゃ!」

 鉄子さんはホームを走って行きました。そのとき、
駅員「ホームを走らないでください!」 の声が!

鉄子「それにしても鉄猫くんはどこへ行ったんやろね
   え。今まではすぐに出て来たのに」

 鉄子さんはカメラを構えながら、頭の中では鉄猫のことばかり考えていました。
 
 
 
 鉄子さんは「パーシー号」の車内に入って、座席や壁面の「トーマス号となかまたち」のラッピングを撮り始めました。車内のあちこちにラッピングが施され、吊りポスターもトーマス号だらけでした。
 車内の撮影を終えた鉄子さんが、駅名標を撮ろうとカメラを外に向けた時でした。ホームの柵の向こうに見慣れた猫がうずくまっているのに気がつきました。

鉄子「あれ? 鉄猫くんじゃないかしら? それにしても大きくなったわねえ」
 鉄子さんはホームへ出て、その猫のところへ近づいて行きました。
 
 
鉄子「あんた、鉄猫くんやろ? そうやろ? 何でホ
   ームに入らへんの?」

鉄猫「いや、ホームへ入るのは入場券ちゅうもんが要
   るんや。ここはホームの外やからええねん」

 それを聞いた鉄子さんは吹き出しました。猫に入場券が要るなんて聞いたこともなかったからでした。
 
鉄子「アホやなあ。そんなん気にせんと入ったらええ
   やん。言われたら謝ったらしまいや!」

鉄猫「いいや、もう俺は電車に飽きたんや。こうして
   昼寝してるんが一番ええ。オヤスミ」

 鉄子さんはあきれました。最近の若いモンはすぐに何でも飽きてしまうんやなあと思いながら、眠っている鉄猫を起さないように、そっとその場を離れて撮影を続けました。
 
 

カラス「アホー、アホー、アホー!」

 カラスは鉄猫の飽きっぽさにあきれて鳴いたようですが、鉄子さんはいい歳をして「トーマス号」を追いかけている自分が笑われたと思い、恥ずかしくなってしまいました。


                ― おしまい ―



 
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