大人と子供の童話


 







 
「にゃにゃにゃにゃ、にゃんじゃあ〜! ワシの庭にこんなモンを置いたヤツは〜!」
 大阪都構想で揺れる大阪市は浪速区の新世界を根城にする猫の又兵衛はおかんむりです。朝起きてみるといつもの遊び場に何かドデカい物体が置いてあるではありませんか。自分のからだの何百倍もある物体が突然現れたので又兵衛は怒鳴りちらしております。近所の猫たちも困った様子で又兵衛とその物体を眺めていました。

「こんなモンを置かれたら邪魔になってしょうがにゃいやにゃいか! にゃんとかしてくれえ〜!」 又兵衛はわめきながらその物体の周りをウロウロしていました。

 猫たちは知りませんでしたが「大阪市営地下鉄80周年記念事業」の一環として、2013年4月20日から1か月の間、ここ新世界に旧大阪市電の車両が1両展示されることになっていたのです。また5月からは大阪市役所前にも地下鉄車両が1両展示されましたが、新世界の猫たちはもちろんそのことも全く知りません。
 

 
 物体の横にはドアがあり、その下に置いてある看板には「市電霞町線・開業百周年」と書いてありました。
「そう言えば昔この辺を市電が走ってたにゃあ。ちょうどこの場所に車庫もあったんや。思い出したぞ。ワシも子供の頃によく電車通りで眺めておったにゃあ」 又兵衛は遠くを見るような目つきで市電を眺めました。

 とはいえ、ここを市電が走っていたのは今からもう半世紀以上前のことです。猫の又兵衛さんは今いったい何歳になるのでしょうか? まあそんなややこしい計算は考えないことにしましょう。
 
 
 そんな又兵衛の様子を階段の上からじっと見つめている猫がいます。又兵衛の恋人のミャー子です。

「又兵衛さん、あんなに近づいて大丈夫なのかしら? 今にも走り出しそうな感じだけど、市電って怖くないの?」

「でも変ねえ。電車なら線路っていうものがあるはずなんだけど、どこにも見えないわねえ」 ミャー子も昔は飼い主に市電に乗せてもらったことがあるようです。いったいここの猫たちは何歳なのでしょうかねえ。



 ところでここ大阪市では最近「大阪都構想」なるものが巷の話題になっており、それは猫の世界でも同じです。

「大阪都になっちゃったらアレも大阪都電になるのかしらねえ。何か変な感じだわ」 少しは鉄道の知識もあるミャー子はそんなことを考えていました。

 でもみなさん、大阪市電はもう大阪市内のどこにも走っていないので都電と呼ばれることはないのにねえ。ミャー子はそこんトコロを勘違いしているようです。

 
 
 又兵衛はいつもの遊び場がなくなってしまったので、仕方なく通天閣あたりにでも行くのでしょうか? 市電のそばを離れてブツブツ言いながらどこかへ行ってしまいました。

 又兵衛も「大阪都構想」は気になるようで、色々考えているようですが、猫には住民投票など関係ありません。
「今は大阪市猫やけど、大阪都になったらこの辺は中央区になるらしいから、ワシらは『中央区猫』になるんかいな? ワシは『大阪市猫』の方がカッコええと思うがにゃあ?」

 猫がそんなことを心配しても仕方がないですが、又兵衛は生まれ育った大阪市が好きなのでやはり気になるようです。



「あらら、又兵衛さんはいなくなっちゃったわあ。せっかく遊んでもらおと思うたのに。しゃあないなあ」 ミャー子は階段を降りて市電のそばへ行ってみることにしました。

 ミャー子は猫の世界では「鉄猫」と呼ばれていますが、近くを走る大阪環状線や阪堺電車以外は見たこともなく、久しぶりに懐かしい大阪市電に出会ったので興奮しています。
 


 
 ミャー子は恐る恐る市電に近づいて行きました。今にも走り出しそうなので心配だったからです。
「あらら、線路はちょっとしかないやないの? これじゃ走れないわねえ。心配して損した!」 ミャー子は周りの柵を抜けて市電のすぐそばをぐるりと一周してみました。

「子供の頃は車も少なくて、歩道から眺めてただけやから小さく感じたけど、こうしてそばで見ると大きいにゃあ。そやけど動かへんのやったら怖いことあれへんやん!」 ミャー子はさっき又兵衛がしたように市電の周りをぐるぐる回りはじめました。
 
 
 
 そのうち新世界に市電が置いてあるのを知った鉄道ファンが集って来て、せっせと写真を撮り始めました。
初めは全体の写真ばかり撮っていましたが、それが終わると車体の下の方にカメラを向けて撮るようになりました。熱心に床下の機器類の写真を撮っているのかと思ったら、どうやらそうではないようなのです。
 
 
 カメラを構えている鉄道ファンの後ろからのぞいてみるとその理由がわかりました。子猫のチビ太が市電の床下に潜り込んでいたからなのです。

 鉄道ファンたちはもう市電の写真はそっちのけで、かわいいチビ太にばかりカメラを向けていました。チビ太もカメラの前で色々なポーズをとってサービスしていました。



 さらには大阪のオバチャンたちや中国や韓国からの観光客の人たちも、カメラやスマホをチビ太に向け始めました。
 オバチャンはアメ玉をくれるのですが、チビ太はちっとも嬉しくありません。まもなく商店街の人がやって来て、
「猫にエサを与えないでください」と注意していました。

  
 
 チビ太は鉄道ファンや観光客のためにあちこち移動してサービスしていました。市電の周りには昔の懐かしい風景写真なども展示されていましたが、チビ太はその近くに座って一緒に写真が撮れるようにポーズを決めたりしていました。
 中には「おい、そこの猫、ジャマや! どけ!」と言われることもありました。チビ太はあわてて飛びのきましたが、ほとんどの人たちは「かっわいい〜!」と言いながらカメラを向けていました。観光客のお相手に疲れたチビ太はとうとう市電の下で横になってしまいました。
 
 
 
 5月とはいえ暑い日が続きました。市電の下で居眠りをしているチビ太の上を、さわやかな風が通り抜けていきます。鉄道ファンが帰った後で子供たちがやってきました。お揃いのシャツなので兄弟なのでしょうか、市電の下のチビ太を見つけて覗き込んでいます。
 ミャー子はもうスパワールドへの階段を上って行ったのか、市電の周りにはいませんでした。
 
 
 
 ミャー子は階段の上の方で又兵衛の帰りを待っていました。
「今日は天気がええから又兵衛さんにどこかへ連れて行ってもらおと思てたのに、市電のおかげでいなくなってしもたやんか。どないしてくれるねん!」 市電に文句を言っても仕方ないと思いますけどなあ。

「お〜い、ミャー子、そんなとこで何してんねん? 天王寺動物園へでも遊びに行けへんか?」 又兵衛が市電のところへ戻ってきて、スパワールドの大階段を見上げて叫びました。猫が動物園に行ってもおもしろくないと思いますけどなあ。
 
 
 
「あっ、又兵衛さん、帰って来たん? ちょっと待ってな、お化粧を直すさかいに」 ミャー子は手を舐めながら毛並みを直し始めました。それからじらすようにゆっくりと階段を降りて行きました。

「もう〜、どこをほっつき歩いてたん? ずっと待ってたのにぃ!」 ミャー子は市電の前で又兵衛に猫パンチを何度も浴びせました。そんな二人の姿をチビ太が市電の下からうらやましそうに見ていました。
 
 
「なあ、ミャー子、大阪都構想が実施されたらワシら『大阪市猫』やなくなるんやで。どない思う?」 又兵衛は通天閣を見上げながらミャー子に聞きました。いずれは二匹は一緒にならはるようですが。

「そんなん、いややなあ。大阪市で生まれ育ったのに故郷がなくなるようなもんやないの。『中央区猫』よりやっぱり『大阪市猫』の方がカッコええやん!」 まあ、カッコの問題やないと思いますけどなあ。

 結局2015年5月17日の住民投票で大阪都構想は否決され、二匹の猫の思いはこわれずにすみました。大阪市電が街中を走っていた頃から生き続けている猫たちは、これからも浪速区新世界の猫として通天閣を見上げて生活していくことでしょう。    おしまい
 


 
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