赤 川 仮 橋 の 閉 鎖


大阪のJR城東貨物線淀川橋梁(通称・赤川鉄橋)は
鉄道と歩道が一緒になった全国でも珍しい橋です。

その歩道部分が「おおさか東線」延伸のために
2013年10月31日限りで閉鎖されました。

1969(昭和44)年から1970年にかけて、私は8ミリ映画
「大阪の渡し船」の撮影で何度かここを訪れましたが、
その後40年以上撮影に訪れたことはありませんでした。

その赤川鉄橋の歩道部分が閉鎖になると聞いて、あわてて
撮影に出かけた次第です。閉鎖直前の風景をご紹介します。




2013年10月4日(金)



旭区側から北を望む。平日の午前中は渡る人も少ない。

左が吹田と百済を結ぶJR城東貨物線で、歩道部分は長いあいだ木橋のままで、
すき間から下の水面が見えているところもあったが、数年前に鉄板が敷かれた。
昔は下のように赤かったが白く塗り替えられ、今ではそれが剥がれた部分も。


(1970年頃撮影)


「赤川仮橋」の銘板はコピーを貼ってある 橋を渡るツアーも開催されていた


仮橋閉鎖のお知らせ 標識看板の落書きは10月下旬には消されていた


旭区側
 
東淀川区側


橋名板はコピーが貼ってあった



東淀川区側からの風景


鉄橋の正式名称は「淀川橋梁」 鉄橋の両端では複線化工事が


昼過ぎの下りは貨物専用機EF210が牽引



コンテナ貨車の列が続く



鉄橋の出口では撮影者も多い

約1時間後に上り貨物がやって来た



北陸本線用のEF81型機関車が牽引


こちらも長いコンテナ貨車の列が 尾灯は赤い円板になることもある



川原は運動部の格好の練習場

午後からは列車の本数も増え、学校が終わった小・中学生もやって来る







 
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赤川仮橋の閉鎖
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