新世界界隈の正月
(昭和39年・1964年)

昭和39年1月1日、私がまだ高校生だった頃の大阪・新世界界隈の風景です。
当時、私は『釜ヶ崎』をテーマにした写真集を個人で作って、友達に売りつけていました。
その撮影のため、昭和39年の元日にこの界隈を歩き回った時のスナップです。

ジャンジャン町 


萩之茶屋本通商店街。漫画『じゃりン子チエ』の
主人公はこのあたりに住んでいたとか?(笑)

通称『三角公園』。釜ヶ崎暴動の時の中心地。
当時はいつも労務者がたむろしていた。

ドヤ街で遊ぶ子供たち。日雇労務者のための簡易宿泊所で、『ドヤ』とは「やど」の逆語である。
現在はビジネスホテルと名前を変えているが、労務者の宿泊所であることに変わりはない。
釜ヶ崎暴動について
 昭和36(1961)年8月、大阪市西成区の通称「釜ヶ崎」といわれる地区で、警察の交通事故処理の不手際に腹を立てた労務者たちが騒ぎ出し、一時は5000人の暴徒で一帯は無警察状態になり、騒ぎは4日間続いた。
(詳しくは下記のURLで。)
http://www.osk.3web.ne.jp/~kamamat/siryou/usigusa.htm




私の20世紀
目次へ